Essay

原稿「少女漫画・インフィニティ」、国立新美術館

少女漫画・インフィニティ 萩尾望都×山岸凉子×大和和紀 三人展国立新美術館 · 六本木2026年10月28日~2027年2月8日
画像: 国立新美術館 大和和紀「あさきゆめみし」『mimi』(講談社)1983年7月22日号 扉 ©大和和紀/講談社(前期展示)

絵が仕上がりに近づいたころ、どこかひとつ、しっくりこない箇所に気づいて、長いあいだ見つめたまま、手を出せずにいた。

直すとなれば、すでに描いたものの上にもう一層重ねることになる。うまくいかなければ、足した部分が隣と調子がつながらなくなって、絵全体がだめになってしまうかもしれない。かといって直さなければ、見るたびに目がそこへ行ってしまう。そういう箇所では、手をつけるまでに長く迷うことが多い。一面を描き直すこともあれば、ほんの手直しですませることもあるが、直したあとも落ち着かない。絵が壁に掛けられたあとに人が見るのは最終的な姿で、直したところは、自分だけが覚えている。

漫画家が印刷所に渡す紙にも、そういう箇所がある。描き損じたコマは白い絵の具で消して描き直し、別の紙に描いたコマを上から貼ることもある。印刷されたページからは、そのどちらもわからない。

六本木の国立新美術館で今回展示されているのは、漫画の原稿である。萩尾望都、山岸凉子、大和和紀の3人による白黒の原稿とカラーの原画は、合わせて800点を超える。国立の美術館がこれだけの規模で少女漫画の展覧会を開くのは、これが初めてだ。

漫画の原稿は、もともと読者に見せるために描かれたものではなく、印刷所に渡すための版下である。そのため、紙は雑誌のページより大きい。せりふはまず鉛筆でふきだしに書きこまれ、あとから編集者が、別に印字した文字を切り抜いてひとつずつ貼っていく。紙の端には、印刷所に宛てた青い書きこみや、消しゴムをかけた跡や、補強のためのテープもある。こうしたものは印刷の過程ですべて消えるので、雑誌で目にするページはきれいだが、原稿の上にはどれもそのまま残っている。カラーの原画のほうは、違いは色にある。雑誌の表紙や、連載の各回の冒頭に置かれる扉絵は絵の具で描かれていて、そこには印刷では出しきれない色がある。

版下であるために、漫画の原稿は長いあいだ、残しておく値打ちのあるものとは見なされなかった。印刷が終わっても作者に返されなかったものや、捨てられたものも少なくない。大和和紀は、原画は印刷されたものとはまったく違って迫力があり、もはや美術品と言ってもいいと語っている。絵の具の盛り上がりや紙質から、人間が描いたものだとわかるという。ただ、もともと印刷のために描かれたものなので通常の絵画よりもろく、紙は酸化して劣化していき、カラーは色あせていく。

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3人はいずれも1960年代の後半にデビューした。20歳前後のころである。少女漫画誌は女子学生に向けた雑誌で、描き手はその数年のあいだに男性から女性へと少しずつ入れ替わっていったが、何を載せるかを決める編集者は、まだほとんどが男性だった。同世代のある漫画家は、当時の編集者は女の子が好きなテーマや絵はこういうものだと決めつけていて、回ってくる仕事もそういうものばかりだったと振り返っている。定番は、薄幸の美少女ものか、学園の恋愛ものだった。3人がのちに描いたものは、どれもそのなかに入らない。

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『源氏物語』は、学校の古文の授業で誰もがその一節を読む。大和和紀は中学1年のとき、学習雑誌に載っていたダイジェスト版でこの物語を読み、こんなに美しい話があるのかと思った。大人になって全訳を読み通し、誰かに漫画にしてほしいと思うようになった。漫画家の友達に話してみたが、返ってきたのは「嫌だ」か「読んだことない」がほとんどだった。結局、自分で編集部に電話をかけ、『源氏物語』を描きたいと伝えた。

連載の準備をしたのは1970年代で、当時は一般に手に入る平安時代の資料が少なかった。人々が何を着て、どんな家に住んでいたのか、見ながら描けるものがなかったのである。そこで京都の着物屋の資料館へ行って実物を見た。葵祭にも出かけて、装束を着た人が歩くと袖がどう開き、どこにしわが入るのかを観察した。東京に戻ってからは、5人のアシスタントと手分けして建物のつくりや庭に植えられた花を調べ、わかったことを報告し合った。連載のために描いた扉絵の一枚では、長い髪の女性が首をかしげ、衣を幾重にも重ねていて、重ねた一枚一枚の文様がみな違っている。

画像: 国立新美術館 大和和紀「あさきゆめみし」『月刊mimi』(講談社)1983年4月号 扉 ©大和和紀/講談社(前期展示)

冒頭も変えた。原作は「いづれの御時にか」で始まる。大和和紀は、10代の読者が教科書でおなじみのこの一節を見たとたんに拒否反応を起こすのではないかと懸念した。そこで漫画の最初のページはここから始めず、母に死なれた少年を描くところから始めた。連載は14年続き、準備の期間を合わせるとおよそ15年をかけて、『源氏物語』を最初から最後まで描ききった。

こうして描かれた漫画が『あさきゆめみし』である。いまでは高校で、古典を読む前の参考書のように使われている。2019年にニューヨークのメトロポリタン美術館が『源氏物語』の展覧会を開いたときには、その原画も展示された。メトロポリタン美術館が漫画の原画を展示したのは、それが初めてだった。

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萩尾望都の『ポーの一族』の主人公エドガーは吸血鬼で、永遠に14歳のまま、もうひとりの少年とともに、ひとつの時代から次の時代へと生きていく。少女漫画の主人公を少年にするのは、読む女の子をときめかせるためだと私は思っていた。萩尾望都が挙げる理由は違っている。少年を主人公にすると描きやすい。主人公が女の子だと、何かするたびに「女の子のくせに」「女の子だからこうしなさい」となってしまうからである。それに気づいたとき、自分も女だからということでずいぶん抑圧されてきたのだとわかった、と語っている。

そのころの萩尾望都はまだ雑誌の主力ではなく、ページをもらえるだけでうれしく、いつクビになるかもわからなかった。この作品も、はじめは読み切りのかたちでひっそりと載り、そのまま一編ずつ描き継がれていった。やがて出版社が少女漫画の連載を初めて単行本にまとめることになり、選ばれたのがこの作品だった。編集者は、3万部刷る、1年ぐらいたてば売れるだろう、もし売れなかったら原稿料はお金の代わりに売れ残った単行本で払う、と言った。そんなに単行本をもらってどうすればいいのかと尋ねると、編集者は冗談まじりに、池袋の駅の地下で売ったらどうかと答えた。発売してみると、3万部は3日で売り切れた。

ふつうの連載は、同じ主人公の物語が一回ごとに先へ進んでいく。ところが『ポーの一族』は、一編一編がそれだけで読める短編になっている。時代が違い、2人の少年を見ている人物も違っていて、合わせてはじめてひとつの長い物語になる。こうした書き方は、当時の少女漫画にはほとんどなかった。読者も女子学生だけではなくなり、男性の読者が増えていった。1976年には、雑誌が読者への付録にしたバレンタイン・カードに、この作品の少年が描かれた。

画像: 国立新美術館 萩尾望都「ポーの一族」『週刊少女コミック』(小学館)1976年10号 付録バレンタイン・カード ©萩尾望都/小学館(後期展示)

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山岸凉子の『日出処の天子』は、若いころの聖徳太子を描いている。連載が始まった1980年、一万円札の肖像は聖徳太子だった。山岸凉子の描く太子は、常人にはない力をもつ少年で、母はわが子を恐れて避けており、その太子が愛するのは別の豪族の家の少年である。連載1年目の扉絵の一枚では、太子は大きな月を背にして立ち、うつむいて、鞘に収まった剣を両手で捧げもっている。

画像: 国立新美術館 山岸凉子「日出処の天子」『LaLa』(白泉社)1980年5月号 扉 ©山岸凉子(後期展示)

編集部ははじめ強く反対した。お札の人物を少女漫画誌で連載すること自体がいかがなものかというのに、ましてこういう物語である。山岸凉子はのちに、同性愛という言葉を使うこともはばかられる頃だったと振り返っている。連載が始まる9年前には、2人の女子生徒が愛し合う短編を描いていた。何年もたってから、あれも実は男同士のつもりで描いたと明かしている。そういう世界に魅かれる自分は異常だと思っていたし、とても許されないだろうとも思っていたので、苦肉の策として女の子に変えたのだという。『日出処の天子』では、はじめに思ったとおりに描いた。相手が同性であろうと異性であろうと、愛するということの尊さは誰はばかることなく描くべきだと考え、そのために編集部とは相当もめた。連載は4年続いた。

山岸凉子は、いちばん熱があった時期に描き上げておいて良かったと語っている。2026年10月には菊池寛賞を受けた。授賞理由には、旧態依然とした漫画界に革命を起こし、少女漫画を芸術文化の域へ押し上げたとある。

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2026年、萩尾望都は77歳、大和和紀は78歳、山岸凉子は79歳である。3人とも、デビューから60年近くがたつ。

『ポーの一族』は1976年でいったん止まった。それから40年後、萩尾望都はふたたびエドガーを描いた。16ページの読み切りを1本だけという約束だったが、描きはじめると2人の少年がひとりでにしゃべりだし、ページが増えていって、やがて連載になった。苦労したのは、40年前と同じ顔が描けないことだったという。山岸凉子は、賞を受けたのと同じ秋に新しい短編を発表した。やめたいと思ったことはなかったと語り、いま自覚せざるをえないのは老化で、それを描こうかとも話している。

画像: 国立新美術館 萩尾望都「ポーの一族 春の夢」『月刊flowers』(小学館)2016年7月号 表紙 ©萩尾望都/小学館(前期展示)

原稿は、描いた人にとってとても私的なものだ。白く塗りつぶした跡も、上から貼ったコマも、印刷された本には見えない。そこでどれだけ立ち止まったかは、描いた本人だけが知っている。3人の漫画家はそれらを壁に掛け、見知らぬ人が前を通っていくのを許している。そのことに、私は深く感服する。私自身、仕上げた絵の直したところを、人に話すことはほとんどない。もしいつか、そのひとつを指さして、ここはなぜ塗り直してあるのですかと尋ねられたら、私は何と答えるだろう。

あなたにも、ぜひ自分の目で見てほしい。「少女漫画・インフィニティ」。

— Yu

少女漫画・インフィニティ 萩尾望都×山岸凉子×大和和紀 三人展国立新美術館 · 六本木2026年10月28日~2027年2月8日

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